「商業性/芸術性、プロ/アマ」、パンクについて少し

いまさらの応答、長くなるからこっちに投げる。

攝津正さんのいう「「商業性/芸術性、プロ/アマ」という二項対立で考えること自体、閉域で考えることではないか、とも思うのです」を、共感をもって読む。

好きだからやるだけということがある。やりたいから、やる。とにかくテメエも好きなのをやってみる。こういえばウソくさいかもしれませんが、商売っけも芸術への憧憬もない。もちろん人にほめられたいとかモテたいとか、そういう下心のためにやる人もいるでしょう。でも、テメエがかっちょえー!と思ったものをテメエでもやってみたい、というのがパンクの基本。憧れといえば好きなバンドやミュージシャンの具体像をそれぞれもっているだけ、というような態度。こうした DIY(Do It Yourself、おめえもやってみ?≒おれもやるぜ)の精神はパンクに限ったものではないでしょう。「好きだからやるぜ」指向の人たちが多くいるからこそ、楽器・機材生産も産業として一定成立するのではないでしょうか。

ただそれでも問題となるのはやはりショバ代です。好きでやるだけにしちゃ演奏コストが高すぎるんです。だからぼくらのようなのは5~6バンドでライヴハウスを借りてコストを割ったりしてきましたが、最近の東京ではそういう流儀もへってきているように感じます。企画をやるバンドが全部もったりなど、負担をわけあう姿勢が希少になってきている。DIYもしくはDIT(Do It Together、いっしょにやろうぜ、Seein’Red というバンドの主張)が通用しにくくなっているわけです。その一方で、公園や公民館などに機材を持ち込んで「フリー」(自由かつ無償)でやる人たちも一定存在していて、「商業性/芸術性、プロ/アマ」の二項から距離をとろうとする所作への希望がなくなったわけじゃないんですけどね。しかしこの困難はスクウォッティングが成立しづらい日本ならではのものなのかもしれません。

ところで、「一切の制約がない演奏という意味では、その友人がやってるパンクと、私がやってるフリージャズと、何処が違うのかよく分からない」というくだりは、ちょっと違うかなと思いました。おれらがやってるようなハードコアパンクってかなり定型的で即興性はほとんどないんですよ。音色をかなり歪ませていて大方が聴くにたえない騒音を発するので即興的とみられるのかもしれませんが、ちゃんと曲の構成があったうえでそれぞれリフをかなでて終曲するんです。やはり曲の展開のなかで、「聴く人が聴けば分かるツボ・定番」みたいなものがあってそこでもりあがったりとか、演奏する/聴くという二つの行為が癒着してもたらされるギグの場などは、セオリー通りの構成がたちあがるという意味でかなり保守的ともいえます。

むしろフリージャズからの連想でいえば、たまにせっちゃんが言及するジョン・ゾーンが「グラインドコア」と呼ばれる「超高速ハードコア」出身のプレイヤーとジャムっていたことがあるのを思い出します。多種多様となったパンクのなかで無定型的という意味での「フリー」に近いのは、やはりグラインドコアあたりの一部の人たちではないかと思います。(グラインドはパンクじゃないという意見もあるでしょうけど)

いやーこういう話は楽しいな。昼休み終わり。