社会運動のなかで遂行される役割分担(=分断)は、性別分業と密接に関連するものであることはごまかしようのない現実だ。とりわけ発言と記録という役割の争奪戦で男性がほとんど勝利してきた史実は誰にも動かせない。
そのことは近代以後の近代的運動だけではなく、前近代的な民衆運動の歴史についてもいえる。たとえば1918年の米騒動にしても、その着火点となった魚津などの富山一帯の騒動は別名「女一揆」と呼ばれるほど女の活躍がめざましく、それは近代という時間にありながら前近代的な大衆蜂起の伝統に連なるものであったが、直接行動にでた女たちの一群をとらえて新聞が「女房軍」とはやしたてたように、女一揆の女たちは出稼ぎで遠くにいる漁師たちの「妻」「母」としての役割から集団で騒動を起こしたのであった。女たちは「留守を預かるもの」として一揆を結んで決起した。当然ながらそこには農山漁村における前近代的な下層の「家」の秩序が反映されており、行動そのものが支配的な経済秩序に抗するものであったにせよ、「家」内部でかたちづくられる分業とその秩序を打破するものではなかった(まごつく在地の男たちをよそに走り回った進取の気風は見逃せないのではあるが)。そしてこの運動について記録し総括しあとにのこしたのは、やはりほとんど男たちなのだ(1)。なぜ、そうなのか。
しかしまた、「発言と記録に勝利する男」が男のうちほんの一握りの存在にすぎないのも事実だ。背後にはやはり屍累々の屍の残骸である男の亡霊が無言でたたずんでいる。社会運動の発言と記録とをとらえてあえて性別分業によるもの規定するからには、「男/女」の分業と「男/男」の分業をも措定しなければ現実の話としてひびいてこない場もありえよう。さらに手柄顔に運動について語りながらやはり最後まで語るだけという「理論家」や「思想家」はごまんといるが、この手合いは「男/女」に関係なく存在する。現場にいもしねえのに見てきたように調子こきゃがる発言は、なにも男だけから飛び出すものでもない。傲慢な人々はどこにでもいる。
性別分業の問題には、「男/女」や「男/男」だけでなく「女/女」の分業も数えなければならない。調子をこきまくる一握りの男とそうでない多数の無告の男、調子をこきまくる一握りの女とそうでない多数の無告の女という、同性間における「別」をも設定しなければならない。この「同性間における別」は性差を超越した個人的な特質には還元されない。つねに一定数の人々がこうした役割を要請される差別の構造が、社会を映しとるものとしての運動体内部にも存在するに違いないからである。ようするに、ここでいう「同性間における別」の「別」とは階級分化のことだ。
「裏方のしごと」(「調整」だったりその他「実務」だったり)は裏方が語ればよい。またそのしごとゆえに存立する運動の歴史については、やはり裏方が総括して提示すればよい。それ以外の二次的な創作物としての運動史は話半分くらいに扱えばよい。二次的創作物にも一定のはたらきがあるとはいえ、基本的には、沈黙する圧倒的多数の活動者たちを搾取する「商品」だからだ。つまり、運動現場にかかわらないが運動の「果実」にはむらがる口八丁やアカデミズムにたてこもるだけの学者が、たまたま社会のかたすみに残された瀕死の言葉だけを収集して運動史を創作しているさまを特別ありがたがる必要はない。
だがそうして肩をすくめてみせるだけではすまない。買い手の限られる運動史商品はまずもって燃えカスのブレンドにすぎないのにもかかわらず、灰をこねてつくった泥人形が人間であるかのような販促がいけしゃあしゃあとくりかえされ、それを無批判にありがたがる人々がいる。泥人形は必然的にこねるものの意識を投影するだけの存在にすぎないが、それこそが歴史なのだと喧伝され受容される。そうして人々の残骸を編集しつくられた青史がいつのまにか公式の歴史として正当性を獲得してゆく。まさに死人に口なしである。この青史の喧伝と受容の責めは「われわれ」こそが負うべきである。そのような破廉恥の野放しは、社会運動体(と呼べるものがあればだが)と個々の主体の力量のいたらなさをまつものに違いないからである。まるで当たり前のことにすぎないが、「われわれ」自身のうちに宿るこうしたコケオドシの権威主義を点検し撃ちつづけようとすることが、分業の流動化に必要な前提作業となる。裏方こそが同時に表方となる闘争が必要なのだ。
したがって「われわれ」は、幾千幾万幾億もの「女一揆の女たち」、あるいはたとえば女としての被差別と被抑圧を受苦しつつ三里塚で生き抜いて死んだ「大木よね」の声を聞き、「もうおらのみはおらのみのようであって、おらのみでねえだから」(2)との不退転の覚悟で戦闘宣言を発した「大木よね」──「女たち」そのものにならなければならない。つまり「男」なら「おらのみ」=「男性として特権的な身体性」をかなぐりすてて、身にまとわりつく権利を共同所有のものとしてつくりかえなければならない。私的権利は社会的な権力を源泉としながらついに「おらのみ」に収斂するから、これを廃絶しようとすれば当然にも権利への対しかたを問題にしなければならない。そのためにはまず自らの特権がどうあるかを探り、その破壊の糸口を探求しなければならない。三里塚闘争における援農は、この問題への手がかりを与えるものであるだろう。
そしてそのうえでなお「われわれ」自身が記録者になるとともに同時に活動する者とならなければならない。民衆史あるいは社会運動史は、自らもそこにいる現場を対象としてつむぎだす、ほか誰のものでもない「われわれ」自身の創作物でなければならないのである。誤りを怖れる必要はない。それは前後左右に存在する自分以外のものが糾していくはずだからである。そして指摘されうべき誤りが誤りとして認められるときには、躊躇することなく指摘への合意を示し、そうしてえられる認識の変化を自らに往還させればよい。そしてこうした点検は相互的なかたちによってしかなされえないであろう。「われわれ」と主体を措定するゆえんである。部分的にであれ、他人のなかに自分がいる。そうとらえるのでなければ社会運動を記録し、そしてその記録から歴史をつくることなどとうていできはしない。
蛇足だが、かかる不確かなかりそめの共同行為においてのみ、分業の勝者でありがちな男は男としての形質をそうでないものへとたたきなおす契機をつかむ──かもしれない。
(1)全国的な1918年米騒動研究の古典となった『米騒動の研究』は男たちの手によった。民衆史の観点から画期をなすつい最近の『女一揆の誕生 置き米と港町』(桂書房、2010年11月)の著者もやはり男性である。
(2)ウィメンズアクションネットワーク(WAN)がこのことばを引きながら、「大木よねさんは戸村一作さんとならぶ三里塚闘争の英雄」としているが、なぜこのような英雄史観をてらいもなく語るのか。しかも闘争の代表的存在を措定し、それに「ならぶ」とごていねいにも序列を示唆しているが、よねはあくまで「男に伍す女」としての「英雄」でしかなかったのか。この短いテキストのなかでさえ性急に行われる毀誉褒貶はなにを意味するのか。よねはもちろん「英雄」ではない。三留理男らが形容したように、大木よねは貧者としての鬼であり夜叉であった。 鬼であり夜叉である様相は、強大な政治的・社会的権力に対してのものであることはいうまでもない。よねは強制代執行で機動隊に襲撃されたとき、ジェラルミンの盾を水平打ちに顔面に打ち込まれ歯を叩き折られた。このときのよねの「鬼の形相」は、まさに殴られても蹴られても踏みにじられてもついに屈することのない底辺民衆の「顔」をあらわにしたものであったと記録された。
なお、ともに三里塚で闘った人物による以下の回想がある。加瀬勉「大木よね婆さんと共に戦って 寄稿・三里塚闘争覚書 〔上〕」(労働者共産党編『プロレタリア』第486号)、加瀬勉「人として生きたい、だから闘い抜く 寄稿・三里塚闘争覚書(下)」(同前『プロレタリア』第487号)。
noizさま。
はじめまして。
http://d.hatena.ne.jp/lever_building/20101223#p1
このたび、わたしもふくめた3名が呼びかけ人になるかたちで、このような「共同声明」をださせていただきました。
なんでも、noizさまは「仁義」について一家言おもちのようなので、直接あいさつにうかがった次第でございます。
それにしても、他の呼びかけ人とは関係なく、わたしの個人的な感想として記すのですが……。「内実の調査もせずに『悪い噂』をいいふらしていた人間がいたとすれば、ふざけんなクズ、てめーがやってみろと詰めるしかありません。それで攝津さんは裏をとろうともせずに『はあ』とかいっているんですか。それで恥ずかしくないんですか」(13:13 on 18/12/2010)とまでおっしゃっているnoizさまの「自己批判」の内実がこのようなものになったことが、素朴に不可思議でなりません。2ちゃんねらーならば、「オマエモナー」とつっこむところではないでしょうか?
まあ、わたくしは、あなたの「自己批判」にどうこう言う立場にないし、そもそも「自己批判」に他者が関与しようとすること自体、おかしなことだし、危険でもあるという気がいたします。ある種の左派がこのんで語りたがる「自己批判」なるお題目の空虚さを目撃しえたようにもおもい、たいへん興味ぶかい経験をさせていただいたと感じております。