攝津さんがまやラミスの印象について記している。それで思い出したことがある。2003年3月19日夜、つまり米軍のイラク爆撃開始前夜のこと。ぼくらは、長かったその日をしめくくる行動として、アメリカ大使館に抗議申し入れに行った。すでにたくさんの人が大使館前にいたが、警察の妨害のため大使館前の歩道から追い払われ車道をへだてた向かい側におしこめられていた。ぼくらはそれを無視してやや離れた横断歩道に向かって渡ろうとしたところで警官に阻止された。しかしだまって阻止されるほどぼくらは従順ではなかったので、大揉めに揉めた。もちろん手や足が出てしまうとパクられるのは分かっていたので、あくまで理詰めでおしまくった。結局、一人ずつなら大使館職員(じつはただの雇われ警備員)に抗議声明を読み上げる、抗議文を手交するという線で妥協した。どうしてもこの地点から大使館前までいくのはやめにしてくれという警察の懇請をのみ、いったん「皆さん」が待機している大使館の真向かいまで移動したうえで、そこから大使館前まで一人ずつ行くことにしたのだ。争いごとを嫌悪しているらしい「ピース」な人たちは、ぼくらが何をしようとしているのか最初は分からなかったらしい。粗暴な調子で警察につっかかったあげく、なにやら勝手なことをはじめたと呆気にとられていたようだった。しかしぼくたちはやればできることを自粛するつもりはなく、自粛が行き渡るとかえって自分たちにも悪影響が及ぶと思っていたため、逆に警察にいわれるがままだった人々に向かって、「いいたいことがあるなら紙に書いて大使館のあの警備員にわたせばいいんですよ」といってけしかけた。すると次々と大使館に向かう人たちがあらわれたため、赤坂署には恨まれたに違いなかった。そうこうするうちに親米売国奴的右翼が襲来。警察がすぐに阻止して排除したが、ぼくらは同じく警官隊に妨害されながらも行ったり来たりで、まあ落ち着きがなかった。そこでまやラミスが登場したのだった。こともあろうに出会い頭に矢部史郎にお線香をわたしたのだ。つまりお香でもかいで落ち着けってわけだ。おれたちゃ多動症のクソガキかとムカッときた瞬間(でも正しい観測かも(笑))、矢部はお香をラミスの目の前で地面にたたきつけた。彼女は目を丸くして信じられないとでもいった様子ですぐにぼくらの前から姿を消した。そののちのイラク反戦運動のなかで発生する隔絶を予兆するかのような光景だった。まやラミスや多くの人々はあくまで「ピース」を前面におしたてていたのに対し、ぼくらは「反戦・反弾圧」だったから、なるほど場を共有するのは困難だったかもしれない。むしろお香は潮流分岐を暗示する導火線でありえた。翌日の晩、アメリカ大使館付近の警察の阻止線を突破しようとして、4人の仲間が逮捕された。イラクで爆撃が強行されるとき、東京では弾圧がもたらされ、反戦運動に対する分断攻撃が開始されたのだった。