北米発の社会運動における「合意形成」(decision making)の話って、経営組織論・マネジメント論のコピー以外になんか意味あんの? だいたいそういうのってバーナードの経営管理論やサイモンらの意思決定論からどれだけ出てるんだか。経営学者をもちだすまでもく、アジェンダがどうのファシリテーションがどうのってな方法論にしたって、そこらの経営組織論の翻訳書を見りゃうんざりするくらい説かれているわけで、なにをいまさら感ぬぐえないのよ。もちろんそういった分野での議論のくりかえしは、逆説的にいえば経営の現場でも組織化はそううまくはいかないからってことでもあるんだけど。だから合意に向けた自分たちじしんの実践を卑下する必要はないけど、少なくとも「合意形成」論議の多くが経営論の後追いでしかないってことだけはふまえといたほうがいいと思う。
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noiz
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攝津正 19:36 01/10/2010 パーマリンク
まあ、でも、経営学から学ぶのもよいのでは。関係するかわかりませんが、最近ブログに、資本主義の肯定面と否定面を書きました。簡単にいえば資本主義が消費者の多様な欲望を開発し充足させるのですが、消費者は移り気なので、欲望もころころ変わり、生産現場はそれに振り回されるということです。ナタデココ然り、韓流ブーム然り。
noiz 21:10 01/10/2010 パーマリンク
そうね。もう一つのメモで、資本主義に学ぶことは多いと書きましたが、組織論なんて経営のものだろうがそれ以外であろうが問題の根っこは同様かと思ったり。目的が違うだけで方法論が似ているというか…
noiz 00:54 02/10/2010 パーマリンク
ようするに、「うまく(効率よく)やる」「能力をひきだす」などのくみたてが問題にされるわけです。なんに活かすのかが異なるのだろうけど、くみたてがどうあるべきかと問題にされる範疇がまるで一緒だ……という。「へたをうつ」「能力がたりない」上等、などとは空念仏でしかいえない。いやま、現実の「運動」ってほとんどせっぱつまってて余裕がないことが多いから、ヘタレ上等ではものごとをくみたてられないという陥穽にはじめからはまりこんでいたりするので、ますます「うまくやる」ことが重要になってきちゃうのだけれど。つづくかも