サウンドデモ史考──人はどんちゃん騒ぎのなかに社会変革の夢を見るか
初出『アナキズム』第12号(2009年8月)
またもや欧米との対比(しかも錯覚)ぬきには語りえなかったしょっぱいデモ論が。掲載されてる媒体が日経ビジネスONLINEなあたり、さもありなんというのは偏見か。この数年に現場にいれば日本のデモに老、若、男、女、そのどれでもない、のすべてがいることくらい誰にだって分かる。いっぺん観察だけでもしたらどうなのこの「おっさん」。
おひさしぶりです。この「おっさん」は要するに内田樹の言うことに納得して、青年の不在を唱えているわけですが、その不在の原因は子供かおっさんしか居られない社会であり、おっさんとは組織に属している人間であり、おばさんとは自分の目でモノを見て、自分のアタマで考える人間なので、完全な生物学的な定義ではないですよ。そしておばさん=自分の目~、が怒ったときデモが起きるというふうに持ってきているので、まあ、薬にも毒にもならないことを言っていると思いましたよ。でも、その薬にも毒にもならないことが何故かむかつくんですけどね。何なんだろう?と思いますが。では!
自分はデモ行きたいなあ、と思うときと、やっぱいやだ、と思うときがあります。Twitterなんかではbcxxxさんなんかの主張をどう捉えようかと考えています。彼は共産党から左の左翼全般を、党派もノンセクト(無党派)も一括りにして、「極左」「過激派」と全否定するんですね。まあそういう意見もあるだろうと思うけど、それって彼がイギリス暴動とかについて言っていたことと整合するのかなあ。移民二世、三世の暴動は容認でブラックブロックは許せんというのはちょっとよくわからない。
高橋さんお久しぶりです。あなたのいうとおりだと思います(笑)。ただこの「おっさん」のいう「おっさん」「おばさん」を純然たる生物学定義として捉えていないのは、街頭行動(ここではデモ)の現場には性別や年齢のカテゴリーにあてはまらない「そのどれでもない」だっているだろうとしているあたりから汲んでいただきたいなと。この「おっさん」が海外との状況比較や「おばさん」ジェンダーをジャックするかたちでしか発言しないずるさに腹が立っていて、あんたどこにいんの?という気持ちでメモしたんですよね。あとやっぱりスペクタクル消費の態度もかな。
容認、許せんの話、単に好みの話だったりして。まー聞いてみなけりゃ分かんないことですが、興味ありません。ただ一ついうと、一口に暴動といっても無工作なのかどうかは難しいところですね。暴動の下地になると幻視される生活像・文化的基盤にしてもイデオロギーや政治的カラーがいっさいないかといえばそういいきれないわけですしね。
そういえばこないだのイングランドの「怒れる若者たち」の暴動、あんなの無内容・無思想だ、ガキの悪ふざけで騒いでるだけってdisる主張があったでしょ。少年少女も野次馬でたくさんいてそれでなんだのってくだらない解釈になったりして。でもスクールキッズまで行動に随伴・参加するようになった状況は一晩でできあがったわけじゃない。それはロンドンG20以降に治安弾圧状況がさらにエスカレートしたイングランドにあって、運動体もしくは街頭行動のつらなりががどうしてきたかってことによっているわけでしょう。たとえば10代の当事者のインタビューを見れば、活動する人々のツナギがあってこそのものだって分かります。そうした連携によって招来される状況に野次馬はのる。
New Kids On The Black Block
http://www.vice.com/en_uk/read/new-kids-on-the-black-bloc
暴動の母体となるデモ隊列がコールする Whose streets? OUR STREETS! の意味が分からなければ、無内容だといくらでも罵倒することができるでしょうね。それにしても3月の暴動を見逃しておいて、日本のマスコミがたまたま外電をひろったときにだけ反応するってのは単なるスペクタクル消費……
どうも返信ありがとうございます。僕なんか運動から償還していますので、あまり何も言えないのですが、たまに動画とか見ると、右翼の人がガナリ立てていて、それに鉄の怖い格好した警察官がたくさんいてと、本当に見ているだけでブルブル震えるくらい怖くて、何か、主張とかいうより、なんでこんなおかしなことになっているの?という感じです。で、自分が運動していた時も、主張の内容もそうですが、主張自体に対する無神経な規制や介入に怒り心頭で、それで逮捕されて、その節は大変お世話になりましたが(苦笑)、本当酷いですよね。
デモすることが恐怖になる民主主義社会って、本当におかしいと思います。あと、最近の右翼の人(昔もかな?)は、暴力に対する敷居が低いというか、酒飲んで暴れる感じで襲い掛かってくるように思えて、ああいうのは本当はもっと社会的に規制しないといけないと思うんですよね。人権団体とかNGOとか報道関係者とか、そういう市民社会の柔軟性みたいなものが、本当にないんだなと痛感してしまいます。
話は小田嶋氏に移りますが、彼のスペクタクルに対する無批判云々というのは、ようするにサブカル左翼的な問題ということにつながるんじゃないかなと思うんですよ。噂の真相的な左翼というか、80年代左翼というか、呉智英的というか、薄い反体制というか、自分はあんまし良く分からんのですが、薄い消費社会に乗りながらその消費社会を批判するみたいな。まさに薬にも毒にもならないけどほんの少し面白い(つまりタモリかな?)みたいな。好い加減な内容ですいません。
そんでnoizdさんのご意見を伺って自分で再び考えたことは、「そもそも何であんな変な文章書いたんだろう?」ということです。そして思ったのが、「きっと頼まれて、何書いて良いか分からないから適当に書いたんだろうな」という結論でした。小学生が無理やり夏休みの課題の作文を書いたようなしまりのなさからそのような推測をしました。
クドクド書きましたが、要するに80年代の薄っぺらさがほんのちょっと出てきただけで、多分誰も相手にしないと思いますよ。でもこの文章打っていたら、街頭に出る時に左派、特に今では古典的といっても良いかもしれませんが、自分の主張や思想をストレートに表現する人々が被る数々の制約やプレッシャーに対して、この社会の人々はもっと関心と注目を持つべきではあると思います。やっぱ思い出しても腹ただしいですからね。現場の警察の横暴には。あの、デモに参加することにまつわる惨めさというのは、ほとんどトラウマのようにあります。たまにどうすれば良いのだろうか?と思います。
デモに対する、政治活動に対する、政治的表現に対する過剰な規制や自粛という社会環境を改善することは本当に必要なことだと思います。何かしなきゃいけないのかなと思いますが、そういうの最近の反原発の若い人でやらないのかな?ついつい他人任せにしてしまう悪い癖が出てきてしまいます。
長文失礼しました。御機嫌よう。
デモを準備したりデモに参加したりしてみじめな気持ちになることはわたしにもあります。よくあります。でもそれでくたばってばかりもいられない状況もあったりします。特に弾圧されているときは。というわけで、9.23救援会が主催ですが、この間の東京の反原発デモで頻発している弾圧被害者も迎えて以下のような集会が企画されています。参考までに。
http://923solidarity.tumblr.com/post/11852247681/9-23
大切な企画ですね。警察行政の暴走をどうしたらストップ出来るのか、公安員会が形骸化どころかモロ反動化していることが原因なんでしょうけど、構造的に規制強化するためには何が必要なのかと思います。木村さんの事件で検察のあり方が問われていますが、公安委員会のあり方も問われて欲しいと思います。傍観者ですいませんが。
返信ありがとうございました。失礼します。
わろた。官許デモにいくらカネかかるか、なんて話してるんだ。申請者の労働時間消尽を度外視すれば、デフォルト0円に決まってる。少なくとも警視庁管内では都条例にのっとってデモれば道路使用料免除申請が同時にできるから身銭切るようなこともないし(ただし管轄署や担当官によって免除申請についてはしょる=忘れることがありうるが、いずれにせよ使用料はかからない)。色気出してアピールしまくりがいいとなるとプラカや宣伝車両の経費がかかってくるというだけのこと。
デモ申請なんて時間さえあれば誰にでもできます。それを誇るようになったら人間腐っておしまいです。いいですか、デモ申請は誰にでもできるんです。単に警察が平気でウソをつくということを見抜けるかどうかの振り幅があるにせよ、特別に秘すべき技術などありません。だからたとえば明治公園に6万人集まったとしてもそれは誰のおかげでもなく、結集した人々それぞれの功績です。それが功績であるならば。
「のれないところにはのれない。フリーライダーになるつもりもない。なら自分たちでやる」のがタダノリを恥ずかしく思うものの流儀。かりに気に入らねえデモがあるなら、デモを自分(たち)で主催して事実として凌駕すればよい。凌駕といってもここでは規模が問題なのではない。実行するための準備と合意形成の局面でどれだけまじめに力をつくしたか、という事実でのりこえてゆけばいいだけのこと。もちろんこの場合、気に入らないやつらの主張やら行動のくみたてかたを批判しながら独自にデモることになるわけだが。
だいたい現今のデモを暴動に転化したいなどという願望を無邪気にさらしてしまえば、その時点で人間のクズ(しかしクズも人間であり諸人はその権利を擁護しなければならない)だと自己宣伝しているようなもの。他人を駒として眺める習性がなければ、現今のデモに暴動の可能性を求める根性はできあがらないからだ。気のきいたふうなことをいう一見の競争に淫してばかりいると、他人を操作対象としてとらえたうえでの暴動妄想をたれながすことができるようになる。しかしそれでは工作者としてはもちろん失格であり、現今の届け出のデモに対して過剰な期待をかける醜態をさらすことで状況認識のあやまりを自ら暴露することになる。暴動は状況ぬきに編成できるようなものではない。暴動状況の現出にむけての工作は、別の目的で集まっている現今のデモ参加者を道具としてとらえることではない。そもそも工作が可能なのかどうかを疑うところからはじめるべきである。
暴動、自分ですればいいじゃん。無届けデモも自分でやればいいじゃん。だまってやればいいじゃん。他人を操作対象と見るテイタラクで、去就をともにする一味同心をえられるわけもない。届け出デモの本質のひとつに、法秩序=制度的暴力の内側に入っていく官許のデモなのだという性質があることを認識できないようでは、支配的秩序の暴力の庇護のもとにいて暴動を夢想するこっけいさも自覚できない。
Twitterでnoizさんが言及しているのとたぶん同じ発言を読んだとき嫌悪感があった。うまく言葉にはできないけれど、敢えて言ってみれば、まず、自分がひどい目に遭うことを想定していない。また、他人ならひどい目に遭ってもいいのかという問題がある。なんとなく安全圏から発せられたお目出度い状況論のように思えていやだった。
東京都のサイトに20列以上の縦隊がひしめく東京都公安条例反対デモ(1949.5.30)の写真がアップされてる。ちぇっ、遠い昔のできごとだからと安心して掲載するってか。だが、戦後と現在は断絶しながらつながっている。
こーゆーのって実践補助クラフト(笑)が付録にあると手っ取り早い。警視庁・各警察署が事前交付しない東京都の「集会・集団示威運動許可申請書」レプリカの使用書体はモトヤ明朝W3、警備連絡係曰く「よく同じのありましたね」。あるよそりゃ。
気がついたら、なんてよくいえるね。
自分の選択のうちにある主体性をあくまで認めないってことなの?
でも、オルグする/されるという
それぞれの行為じたいにそれぞれの主体性がある。
それをごまかすやつばっかだから、
うつろな自己言及と売名ばかりがはびこるんじゃないの?
「運動現場」がちっぽけな「経験」をひけらかすだけの「無主体の主体」ばかりなら、
そんな「運動」なんか早晩根絶やしにされる。
いや、されるんじゃなくて自滅する。
それはあなただってよく分かってるはず。
残るのは燃えカスばかり。
宴のあとの屍拾いこそが任務として要請されている。
140字に「不本意さ」という当為の問題を詰め込みきれるわけもない。
「望ましい」形式で応答できないにしても、たちあうことこたえることについて、放棄したことはない。
修辞さておき、トンコこいたって屍拾いからは逃れようがないのも承知だし、降りようがないし。
いくつもの場面において「やりたいやつがやりたいことをやりたいようにやればいい」だけでは足りないんじゃねえの?という話をするためにその場に身を置く選択したけれど、結果、現状、このテイタラクなので。
だったらなんでその字数のなかであえて「気がついたら」なの? 今回のあなたの発言って、「サウンドデモ」がもつ暴力性への非難にあわせたいいわけにすぎないでしょ。その暴力性をまとった者として非難にまともに向きあってないじゃないの。
そもそも道路を一時的に占有して出会い頭の通行人をおしのけてとおっていくわけだから、どんなデモでも非暴力だとごまかすことはできない。通行人に優先する集団的な力の行使が暴力かどうかはまた議論が別れるところだと思うけど、他人にとっての強制力の行使にはちがいないから。その意味では、「サウンドデモ」にまとをしぼって非難する、参加者だけであろうとする受動的態度もずるすぎる。デモやパレードや祭に参加してる時点で強制力の行使者の一部だと自覚しろってね。
それに、デモがあらわす強制力の行使のうちわけを考えてみなよ。届け出(官許)の場合は法秩序に守られてる側面があるでしょ。届け出デモが非暴力なんてまるでウソで、構造の暴力がもたらす秩序のなかに入るという選択がそこにはある。つまり一時的に制度的暴力の一部になってる。届け出た瞬間に体制の秩序=暴力にくみこまれているわけだよ。官許ってそういう意味だから。そのくせ他人の暴力/性にだけは敏感で、てめえを棚にあげて一部のデモだけ非難する人って、恥ずかしくないんだろうかね。
もちろん他方の暴力装置(警察)が届け出のデモを違法化しようとすることがあるけれど、それはまた別の話。
交渉の失敗および錯誤の記憶の追体験を手がかり(意味マークアップ的な)にする意図で「気がついたら」と書きましたが、そうですね、局地的「現場」への関与においては、トンコこいた立場を粉飾するいいわけととられてもやむないような軽率な表現でした。
いただいた返信と同様の問題は、すでに何年も前にあなたから口頭で直接指摘されていたことでもありましたね。
「軽挙妄動」のうちそととその後をかんがえつづけて、というかつねに軽挙妄動のまっただなかにいるわけですが、自他—ことさら自分—の「主体性」の運用については、時とともに不信をあらたにするばかりです。
それで良いわけないけど、ここで思考も頭打ち。そしてまた逮捕。
もちろんzombioさんが「現場」で無責任なふるまいをしていたといいたいわけではなく、むしろ辛抱強くその場に参与していたことは理解しているつもりなんです。後出しジャンケンみたいですが。
もとより「分かるように話ができなかった」というのはわたしだっていつも同じこと。行動の「組織者」と「参加者」の両方のなかで共通理解はつねに完全ではない。不完全なまま行動にでる。ぬけめなく終われば、ややもすれば「やった!」だけで流れる。それでも弾圧をくった場合は反省のとっかかりになりうるわけですが、それでも救援が最優先課題となって消耗しきったあとでしつこく反芻するのは難しい。これは個人的な力量の問題もかかわってくることですが、それだけに帰せられるものでもないと思ってます。あなたがこだわっていた集合的な意思決定の場のありよう(とくに声なき声をくみとることが困難な定型的な場)が、個人的な消耗とその偏頗に強く影響しているからと考えるからです。この点、「失敗」と総括されたあなたのこだわりは無駄ではないのだと理解しています。「失敗」こそが糧ではないですか。そうじゃなきゃやってらんない、ってこれはこっちの話ですね。利用してごめん。
わたしが今回からんだのって、あなたが反応するもとになった他人の発言がありますよね? そこがキモなんです。もちろん「参加者」然としたお気楽な立場から行動の態様を批判したっていいと思います。それは行動の「組織者」、「参加者」、「傍観者」にとって自らの行為についての再考を促す契機になりうるからです。でもそうした契機をつきつけるだけで自分のこと(特にまずかった部分)も同時にふりかえるのでなければ、はっきりいって甘すぎる。その甘い他人批判に同調するかたちでの自己批判は危険だと思うわけです。それは結局、他人の甘えに同調することで自らを問う可能性をふさぐことになるから。
そうではなく、自己批判は自分と他人との関係においてするべきだと思っています。立場について再度杓子定規にいいますが、「組織者」、「参加者」、「傍観者」などの位置の違いはあっても、それぞれが自己を問うところから同時に他人のありようについても批判していくという相互性がなければ、さらにつっこんだ議論(たとえそれが徒労に終わるとしても)は期待できないと思うからです。
しつこいようですが、あなたが今回「いつのまにか」と応答せざるをえなかったもとの話(サウンドデモ批判ね)には、他人批判はあっても自分はないようにしか見えない。「無主体の主体」と称したのはそのためです。そう感じたからからんだ、ということがあります。でも、「自己批判は自分と他人との関係においてするべき」といいながら、わたしはこの点で全然ダメです。
昨日、某さんから釜ヶ崎の厳しい弾圧についてすこしだけ聞きました。状況は困難だと思いますが、被弾圧者・救対を支援したいと思います。
話ずれるけど、松沢さんって優しいなぁ(優しすぎるような)。
http://www.pot.co.jp/matsukuro/20110411_094254493923178.html
2003年にやってたASCのデモじゃ最初「うるせー」って苦情がきて、あとにやったデモではコース沿いの商店にフライヤーまいて挨拶に行くようにしてた。渋谷近辺に粘着してなんども同じところ通ってたし。全部はまわりきれないにしても、そういう下準備はしないよりもしたほうがいい、という気はする。「迷惑」が押し通っていくありようも外部との交渉があるかどうかでだいぶ中身が変わってくる。だってほんと「サウンドデモ」ってうるせーもんね。その意味では長年蓄積のある祭はあなどれない。
同意の押し売りバーゲンセール状態で気のきいたことをいったつもりなんだろうか。でもこれはとても簡単な話。「デモがおもんない」のはテメエがあくまで楽しくサービスを享受しようという消費者的な態度でしかないから。おもしろくなるかおもくろいままなのかはテメエ次第なのに、これじゃあね。
逆に「デモは楽しい」とはしゃぐだけの人たちはいっぺんお客さんであることをやめて、デモ「申請」に行ってみればいいんじゃないの。「防衛の請負い」でもいい。ときには指名逮捕さえ覚悟しなきゃならない現場責任者やいわゆるデモ指揮やコーラーや旗持ちは、いつだって内心ビビってる。デモがあらかじめ組織者と参加者に分断されざるをえない法秩序と社会運動の現状の泥海のなかで泳いでみれば、消費するだけの態度がどれだけみっともないものかはすぐに分かること。
けれど、のどもとすぎればなんとやらで、デモなんてすぐに忘れられる。はじめからしまいまで搾取者のままってほんと気楽でいいやって話。どっとはらい。
へー。就活くたばれデモの関西版は「パレード出発時まで参加者募集」で参加費500円取るんだ。参加費はともかく、途中参加禁止つーのは……主催者はたぶん無事に終わらせたくて必死でパッチなんだろうけど、もうすこし度量ひろくてもいいよなこれ。不測の事態は想定しておくべきだけど、公然行動であらかじめすべてを把握・統制しようというのがどだい無理だから、心臓バクバクでも精一杯きばってもうちょっとノンビリとしたかまえでいけないものか。予測不能な行動をとる人間がまきおこす不測の事態のケリは自らつけてもらえばよくて、そーいうのも込みで、かつ放置で(笑)。届け出デモのはずなのに実質的に許可制にされちまってる地平からくみたてなきゃならん気苦労はよく分かるけど、警察の不当な規制に過剰適応するのはかなしい。無責任に暴れろと煽りたいわけじゃない。姿勢の問題です。
公安条例や道交法のあみをおっかぶせられて、それでも行動の自由を最大限確保しようともがくんじゃなきゃ、デモがもつ潜勢力は地表にあらわれる前にどんどん縮減されてゆく。なぜデモは実態として許可制なのか。なぜ無届けデモが非合法化されているのか(法律論からいえば無届けであっても合法性は一概に阻却されていないはずだけれど)。あらかじめデモの威力を封殺しようとする条例や法による規制そのものが弾圧ではないか。届け出デモは事前弾圧の限界のなかにあるのだと自覚しながら、過剰な自己規制方針は自分のクビをしめるだけじゃなく後続の阻害要因にもなるんだと認識するのでなくては、とてもじゃないけど「デモ」などとはいえない。規制はあとになってジワリジワリと効いてくる。その意味でデモはひとり主催者だけのもんじゃない。
んー。東京の主催関係者はPARCの「活動家一丁上がり講座」関係者と、この講座にかかわりの深い某NPO関係者で構成されております。例の「た◯き村」で団子生活している人とかね。ほかの地域は知らないけど、東京での主催者は「ゲロゲロ」連中です。報告まで。
わざわざ忠告してくれる厚誼はありがたいんですが、インネンつけられてもあとからどうとでも言えるような風評ふうの報告はまにあってます。
「主催者幹部」(っていまいち何をいいたいのか分からないけど、とりあえず実行委員会のことだと解釈しておきます)は批判を聞かないという態度でしたけどね。そもそもWPN実は推薦者がいなければ参加できないかたちになっていて、単なるデモ参加者は批判の声を実行委員会に直接とどける手段をもっていませんでした。実行委を個人的に知っていて話ができても、実行委員会では共有されない。
だからたまたまその時点でもぐりこめる回路をもっていたわたしは代行的にでもワタリをつけたほうがよいと思い、あるときWPNの会議に出席し、救援はもちろんパクられたやつの周辺でやるんだから、とにかく主催として反弾圧の態度を明らかにしてほしいと要請しましたが、にべもなくはねつけられました。あのときはたしか、北米のANSWERなどとの連絡について海外運動体の情報が必要とされていて、それで話を聞かれたということがあったわけですが、自分たちに必要な話だけしようとするWPN実の態度にはウンザリしました(予想外にこちらのフォローにまわろうとした実行委もいたんですが、会議では牽制された)。もちろん現場での衝突で相互に不信と無理解が横たわっていて、坦懐に討議できるような関係性を追求しようとする熱意に誰もが欠けていてた、という反省があるのですけれども。その後は門前払い。
わたしは現場では「統制派」的にふるまいがちで、覚悟もなくハネる態様にはイラつくタイプなのですが(それでよく反省する)、それでも2003年ころの共同行動の現場では、見ず知らずの人も含めて「仲間」を擁護してきたつもりです。「アナキスト系」などといってしまえるほどの党派性すらなくてんでんばらばらなまま寄り来たる人々こそ見殺しにしてはならない、と思ったからです。自分はまだ共に行動する「仲間」がいるけれど、この人たちパクられたらどうするんだろうかと思わせるような、最初からグループなんか形成していない個人が多く反戦デモ(「ピースウォーク」)に参加していました。WPNは参加者の増減に一喜一憂していたにもかかわらず、圧倒的多数がこのバラバラさ加減を前提とする個人参加であった状況にまともに対峙しようとしなかったのが、軋轢を増幅した一因だったと思いますね。
そもそも警察がデモ規制するのがおかしい。これはいいでしょう。しかし「挑発」ったって派手になんかぶっこわすとか、ビン投げるとか、密集陣形でジグザグして機動隊にぶつかるとかってことじゃなかったし(警察にぶつかる行為はあったけど)、なんでそんなにいちいち目くじらたてるのか、「ピースウォーク」のさなかではよく分かりませんでした。あー頭数を重視してるから「「普通の人」にむかって敷居を下げる」ことが最優先課題なんだ、だから「言うこと聞かないやつら」は邪魔なんだろうとは思っていましたが、なぜそこまで主催側が参加者に対して抑圧的だったのかいまだに分かりません。現場では「いうこときけ!」とかはまだかわいいほうで、たいしたこっちゃないのに機動隊の増派を警察に要請したりとか、「ボランティア」は「ボランティア」でやることやってやがったしなぁ。
しかし「前線のボランティア」とかいう見方もじつは間違いで、「言うこと聞かないやつら」の現場にはりついてた主催側スタッフは実行委員。確かにWPNはボランティア制をとっているところもありましたが、現場すべでがそれで動いていたわけじゃありません。本来みなが対等につくっていくべきはずのものをピラミッド型の請負いですませてしまう運動構造になれきっていると、そういうものの見方しかできなくなるんでしょうけれど。
憶断でデマばっかり(笑) こちらがあらかじめ好きなように書いた「申請」書でデモって、報復でデモ参加者や仲間が留置場送りにされたことはありません(自分が現場責任者としてかかわった範囲でいうなら、自由と生存のメーデー2007、2008)。補足すると、あらかじめ好きに記入した「申請」書を持っていくと、「用紙だけはこちらが用意したものに書き直してくれ」と警察が懇請してくるので、それは受け入れての「申請」書作成でしたが。米軍基地反対の最近の新宿デモにしても、同様の手法でやっているようですが、それで自粛慣行をうちやぶる駅周辺のコースをかちとったところで誰も留置場送りにされていません。
自身が逮捕されないのは現場ではわりと自己抑制的に動いてしまうために警察からはむしろ「交渉」相手と目されていることも要因として大きいわけですが、そもそもほとんど出会い頭の公務執行妨害のでっちあげなど、申請のやり方とは無関係なところで引き起こされるものです。だからといって主催者の立場で参加者の行動を頭ごなしにおさえつけようとする気もなくやってきましたけどね。ただ好きに行動して弾圧されたらてめえらで始末しろよと思うだけ。それなら難癖つけるいわれは一切ない。「暴れて」逮捕されてから泣きつくようなアホがかりにいるなら、てめえら顔洗って出直してこいというだけですが、そんなのは今まで一度も見たことありません(洞爺湖サミット関連では面倒くさいことは回避する無責任なやつらには遭遇しましたが(笑))。だいたい現場責任者にかかる圧力なんてどうせかたちばかりの逮捕恫喝とか屁みたいなもんですし、そのくらいの圧力は覚悟済みでデモってきたもんです。
ともあれ、警察が介入する口実となるデモ参加者の行動とデモ申請方法とのあいだには、なんの因果関係もありません。あるというなら具体的な事例を提示すべきところなのに、そうせずに風評だけたれながす行為には説得力がないどころか悪意さえ感じられます。
それにデモろうと考えるなら、警察に介入されて自分、仲間、参加者がパクられる可能性は常にあるんだ、と覚悟して当然だと思います。警察は逮捕したいときに逮捕するため、いくらおとなしくふるまったところで無駄だからです。
自由と生存のメーデー2006では出発してすぐにDJが逮捕されていますが、このときは「申請」段階で窓口にすぎない警察と「交渉」していたはず。もちろんデモ出てすぐに警備警察と衝突したわけでもなく、あとから映像を見るだけでもおとなしくデモしていただけということが確認できます。それでも公安警察が制服をとびこえてしかけてきたわけです。
2003年7月19日の渋谷サウンドデモ弾圧も、主催者は「申請」段階で警察と「交渉」していて、あらかじめ準備した「申請」用紙をつきつける手法はとっていません。このときは「申請」態度が問題とされたのではなく、もりあがるデモを警察が封殺するために現場責任者を見せしめに叩いたかっこうでした。口実は公安条例違反(遅足)。デモ参加者が「暴れたから」弾圧がしかけられたわけでもない。
かりに警察に従属的にふるまって逮捕されないとしても、警察の治安維持活動の対象にされる点では同じことです。警備公安警察の機能を知っていれば、んなこたぁ折り込みずみのはず。
この短いテキストのなかにさえ事実誤認が二つも含まれている。自家撞着となるが経験談めかしたお話こそ疑ってかかれといわざるをえない。
・東京ではデモ「申請」は警視庁ではなく東京都公安委員会にするもの(条例読め)
・デモは基本的に右折できる(自粛すんな)
間違った情報をたれながして後続の妨害をしないでもらいたい。妨害の意図がないのなら、誤った認識を訂正して情報を撤回すべき。できないと思って自粛するからできないだけ。右折も左折もバンバンやりゃいいだけ。右折の実績は過去にいくらでもあるから、もう少し先達の経験にも注意を払うべきだ(ただし先行者の経験を絶対視してはならない)。
それに警視庁がでばってくるのはデモコースが複数管轄にまたがる場合だったり(タテワリ警察の都合で異なる署を「本部」=警視庁が調整する必要があるため)、公安警察が目をつけてるようなグループが主催してる場合ってだけのことなんだけど、そこで警視庁にやられっぱなしでいるから、公安委員会への「申請」を妨害されているにもかかわらず、こともあろうに「警視庁と交渉している=申請している」などと勘違いしてしまう。複数管轄にまたがるコースであっても、警視庁にわざわざ出かけなくても出発地の管轄署で「申請」書を出すことは可能(というか管轄署を経由させなければ公安委員会は受け取らないカラクリになっている)。警察はそうされたら受け取るしかないんだから。
警察にだまされているせいで、自分たちの行動が最初から縮減されたものになってしまっているのだと自覚するところからはじめるべきじゃないのか、ここまで来ると。思い込みのでっちあげ経験知に頼らず、まずきちんと条文を読んだらいかが。
あーそれとね。「路上解放」をいうデモ(元ネタは Reclaim the Streets!)は目的でもあり手段でもある、といった局面がありえました。
もともと Reclaim… はイングランドにおけるモータリゼーション批判、グローバル資本主義批判の運動からでてきたもので(つまりロードプロテストの運動と関連している)、社会的批判を公共空間にぶちこむためにデモをするし、また治安弾圧でがんじがらめにされている街路を瞬間的にでも取り返そうとしてデモっていた。デモというか街路占拠なんですけどね。主張の訴求という目的と、行為による獲得という目的。後者は公共空間を一時的にでも占拠する目的があり、つまりデモることそのものが目的となりうる。手段と目的の関係が複線化しているわけです。
それは日本でも当初(「理念の輸入」と日本的制約のもとでの「土着化」の過程)はそうだった。今はもう、トラックに機材つんで音楽たれながしてデモるなんて「様式」に純化してるところもあるんじゃないかな、と思いますが。
Is there any “Reclaim the Streets” activities in Japan? Please show photo and video on this blog.
p.s. Our Wheelchair users Reclaim the Streets in Jul,2010:
http://rtstw.blogspot.com/2010/07/blog-post.html
Cyclist Reclaim the Car-Parking space in Dec,2007
http://rtstw.pixnet.net/blog/post/12478683
Cyclist Reclaim the Streets–automoving bike way(Oct,2007)
http://rtstw.pixnet.net/blog/post/10218914
Hi RTSTW, here’s some photo on other site. In Japan, demonstration like “Reclaim the Streets!” started as anti-war demonstration from 2003 in Tokyo, Osaka and Kyoto. But some “peace parades” went ahead around Dec. 2001 with sound car (truck).
J19 2003 Tky
On that day, the demonstration was attacked by security and riot police, so 2 demonstrators was arrested. But the arresteds weren’t prosecuted and released from police cells after long day detention…
http://mkimpo.com/diary/2003/rave_03-07-19.html
O5 2003 Tky
Counter demonstration against police-state suppression on autonomous anti-war protesters.
http://mkimpo.com/diary/2003/rave_03-10-05.html
http://www.youtube.com/watch?v=EAxaurrobQc
http://www.youtube.com/watch?v=MkuC_JwSVQ8
Other old years photo:
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Aquarius/6856/ravedemo.htm
Nowadays, several demonstrators and groups also have kept/adopted “sound-demo” meaning “demonstration with music” in English. Maybe “Reclaim the Streets!” in Japan have been Japanized onto “sound-demo”. I think that the tension to reclaim the streets in early years was lost, but the demonstrators have kept the practices of doing actions on the streets and it’s the succession of early years spirits. But the brutal police have set the intervening method the demonstrations up!
D1 2007 Tky
Some bands played on truck at anti-war demonstration.
http://www.youtube.com/watch?v=mor8rechdRw
J5 2008 Sapporo
Police attacked sound car and arrested the driver at anti-G8 demonstration.
http://www.youtube.com/watch?v=AxuEsnra9Bk
etc etc etc…
noiz, thanks for sharing~ I like your activities, especially “J5 2008 Sapporo” which was an anti-G8 demonstration.
Original nature is full of violence. We human beings shall fight for “PEACE”. People who fight for faith and didn’t afraid to be arrested by police are brave. Life is short , time is precious. Make love , not war.
それをいうなら「デモをやるという目的のためには打ち出しはわりとテキトー(でもスローガンの「キャッチー」さについては考えている)」じゃないの。そもそもアナがどうとかって関係ないし、もう5年も前の話なのに流動する人々を固定しようとする徒労のラベリングに意味があるのかどうか。だいたい全員がそろって「われらアナキスト」みたいな強固な主体をうちかためたデモ組織者なんか幸か不幸かいまやこの日本じゃほとんど存在しない(まったくないとはいわんけどほとんど知られちゃいないし、「黙って非公然」についてはここでははしょります)。
で、デモはあくまで「なにかを訴求する」ための一手段だと思っているからそういう解釈にしかならないんでしょうが、デモをデモとして追及する(つまりデモを敢行することそのものが目的となるような実践)スタンスはがんじがらめの警察国家のもとではありうること。つまり「街路を奪い返すぞ」ということがほんとうに課題になってしまうわけです。ひところ打ち出された「路上解放」のスローガンについてなにを大げさな、あるいは転倒してるじゃんと思えるなら、それはたんに警察の街頭支配のありようを知らないからこそのもの。あるいは支配に屈服しててそれでよしとしているから。そーいう大方の状況は今もそう変わっちゃいないと思います。
かつて東京でイラク反戦運動なるものが「ピース」でうめつくされようとしたときに、一部のサウンドデモがそこからはみ出していくかたちで現れたのは、「え、なんで日本ってこんなに警察に支配されてんの? それにみんな屈服してるし……「(警察と)争い」を起こすほうが悪いみたいにいわれるんじゃ、勝手にやってるほうがいいよなぁ」という「実感」にもとづいていました。大同団結より、ひとつの突破をめざしたわけです。のれないところにはのれない。フリーライダーになるつもりもない。なら自分たちでやる。まるで神話のように語る手合いもいますが、サウンドデモといってもたかだかそんなもんだったわけです。
そういや、あのころ松本くんたちは「貧乏人大反乱集団」(パロディ的学生組織としての全貧連が機能しなくなりつつあったころの学外でのかれらの自称)として街頭に押し出してて、わたしらとはやや違うところで頑張ってたんですけど、やっぱり「ピース」な人々に嫌われていて、あまりに警察と衝突するので(でもわりと間合い読んでやってたはずなんですが)あるときたまたま共同行動で同舟せざるをえなかった Chance! の人らにボロクソにいわれたってなことがありました。もちろん「貧乏」はそのころから独自の活動への指向を示していたわけですけどね(大学内でやっていたことを街頭に持ち出した「駅前鍋」とかがそうで、のちのチャリデモとか家賃をただにしろデモとかはその転化とみていい)。「貧乏」の作風は他人のことはどこ吹く風なんで、口先だけをみるとどっちが「ピース」なんだか、という。
ああ、話がそれた。でまあ、素人の乱の松本くんは「アナ」を意識しているのは確かなことなので、その主体的な意識をもって「アナ系」(それにしても「系」って便利なものいいだよな~)といえるのかもしれないけど、高円寺ニート組合(チャリデモでの自称)を「アナ系」というのがふさわしいかどうか。「アナ」と決めつけられるのだっていやな人は多いはず。いまや松本くんのこの数年来の盟友である「乱」の各店主たちは自称「アナ」ですらないのは、みなさんよくご存知のとおり。え、知らない? じゃあ決めつけてんなよ。
>Chance! の人らにボロクソにいわれたってなことがありました。
Chance! の人らの人間性を疑いますね。WPN実行委も酷い。
まあいわれた方がたぶんどこ吹く風だし、罵言まるだしで喧嘩したっていいんじゃない?とも思うんだけどね。Chance!に違和感を感じたのは口先では「ピース」とかいいながら口悪いなおめーら(笑)というくらいのもんであって。かりに言われたのがオレだったら逆宣伝に使うところだけどね。腹黒いから。
WPNに関しては、こっちも当初は喧嘩腰で交通の機会をせばめたかな、という反省もあるんです(個人的に)。とはいえ、もちろん自分らが呼びかけた「ピースウォーク」の一部隊列(主催にとってあくまでよそ者)に被弾圧者をだしたってことに口を噤む態度は論外だと今でも考えるわけなんですが。
ただ、プラットフォーム拡大を最優先にすりゃ「共約」の範囲がゆるゆるになるのは当然だし、またそのゆるさにあきたらない人々との軋轢をうみだしてかえってギスギスする、だなんてこたー共同行動を「主催」する立場になりゃよく分かることながら、おうおうにして「敷居を下げるか」「指向を貫徹するか」の二者択一にはまりこむしかないのだけど、そうした二元論ではまるでがんじがらめになる現実の罠が待ちかまえている。……まるで凡庸な話ですまんことです(笑)。
んー、デモにまつわる都市伝説っていろいろあるんですね。かくいうわたしだって、先達の経験を尊重しすぎたせいか、デモコースについては警察のコワモテでほんとに「不許可」になったり「コース変更」されたりってことがあるのかと数年前まで思ってたんですが、じつはほとんどそんなことはない。やればできるじゃん、なんです(笑)。逆にいうと、やらないからできない、ただそれだけのこと。これは嫌味じゃなくて事実です。
や、こないだの午前から正午にかけての反靖国関連のデモはコース変更のうえ「許可」とれさていましたが、あれは靖国周辺を一定の長さの距離で歩くと、雲霞のごとく集まっている右翼からの攻撃の可能性からして、警察のほうでも「警備」するのが困難になるからだという背景があるからだと思います。まさに「安寧秩序を乱す」が、コースをあきらめさせる恫喝ではなく、ほとんど本気の懸念だという事情によるものでしょう。これは例外的といってもいい。
話をもとに戻します。で、基本的に公道ならどこでもデモコースにできる。ウソだと思うなら、あらかじめデモコースを書いた用紙を出発地の管轄署につきつけて受け取らなきゃ行政官の不作為だといって責めればいい。責めるというか、用紙叩きつけて帰っちゃえばいいんですよね。もちろん録音・録画とかしてかまえますよ、という姿勢を明らかにしながらです。用紙の様式だって本当は定められていないから好きに書いちゃえばいい。条例には様式の指定がないので、条例がいうだけの情報だけそろえて書いて出せば制度的瑕疵(かし=まちがい)はないんです。こういう「遵法」闘争の逆手に直面すると、所轄の警備課なら目を白黒させて居丈高な態度を消沈させ、本部(警視庁)からは警備課の連絡係がすっとんできます(笑)。
事前に「申請」用紙を書いて出そうとするかまえでデモ「申請」に臨むという手段については、近年東京・新宿で思うがままに駅周辺を突破してきた「自由と生存のメーデー」を題材として、「デモ申請」「デモコース」をキーワードに検索すれば関連するリソースがたぐれるので、デモコースが希望どおりいかないという人は参照してみてください(そのままやれとはいわないけど、一つの参照軸にはなるでしょう。さらにいえば、デモ「申請」自由自在のためにもっと妙案をひねりだしてほしいところ)。2008年の同メーデーでは1000人規模でしたが、片側車線だけだけど、新宿大ガードとおって靖国通りを席巻しています。「申請」前の窓口段階では、新宿署と警視庁の警備連絡係がさんざん「そのコースは無理」とほざいてたんですが、おしきって「申請」した結果は「許可」ですからね。警察のいうダメを丸呑みにしていると、自らの権利を自らで扼殺しつづけるだけなんだってことがよく分かります。
あるいは、沖縄の米軍基地問題で、このかん何回か「新宿デモ」が打たれていますが、それらのデモにしたって、「自由と生存のメーデー」が獲得する前までは自粛慣行によって考えられもしなかった「いいコース」をとおっています。その手法はもちろん「申請」するにあたって警察とは交渉しないというもの。繰り返しますが、警視庁・各署がもっていながら事前配布していない「申請」用紙を、寸分違わぬかたちで再現したもの(PDF)を使ってあらかじめコース書いてつきつけりゃいいだけです。
ま、「申請」前段階から警察と対立するとデモに圧力がくわえられるから上記したような強硬路線に出たくないというなら、黙って奴隷のコースでがまんするしかないんですけど、ほんとにそれでいいんでしょうか。やればできるのに? じつにもったいない。ダメだって脅して諦めさせるのがデモを予防拘束する警察の手口なんですが、そうしたえげつない妨害に屈せずデモコースを好きなように獲得している人々がいる。それなのになお自粛するというなら怠慢のそしりを免れないはずです。関連するリソースだって共有のためとして、ネットで公開されてるんですから。
ついでにいうと、2003年の渋谷・原宿・青山あたりを踊り歩いていたASCの反戦サウンドデモにしたって、ずいぶんなコースを押しとおっていました。もちろん繁華街をゆく人々をおしのけて、です。それだけデモ隊のテンションが高かったし、また組織者も弾圧覚悟でやってた部分もあるので、コースも妥協しなかった。あらかじめ「申請」用紙を書いていかなくても、警察による「申請」前妨害段階での攻防でおしきることもできた。これもほんの数年前のことです。ようするに警察に脅されて屈してたらダメだってことでしかないんです。警察のいうことを真に受けたら、その時点で予防弾圧(事前弾圧)に屈したことになる。
これはデモじゃないものの、浅草サンバや祭りとかを見ても分かるでしょ。ようは気合いか根性さえあれば公道ってけっこう使えるんですよねぇ。あ、またこういうこというからマッチョだと(以下略)。警察相手の粘り腰でマッチョといわれるなら甘んじて受けます。
というわけで、工事でほんとに物理的にとおれないだとか、ほかのデモとバッティングしていたなどといった例外をのぞいて、好きな公道をねり歩きましょう。合言葉は「禁止を禁止!」「あらゆる公道をデモコースに!」
あ、デモ(「示威行進」)で途中参加・離脱ができないなんて真っ赤なウソです。届け出のデモ(実態は限りなく「官許」のデモ)の場合でも、途中参加・離脱は可能。できないというデモ主催者がいたら、そりゃ警察に脅されてビビってるだけ。実際に現場で警察が妨害しようとすることもありますが、法的根拠はない。つうかそれじゃ急な生理現象をもよおした場合とか急病人が出た場合に、まともに対応できないじゃん。大事になったら凌虐で刑事告訴、損害賠償で民事請求──そこまで根性ある人がなかなかいないので、都市伝説がまかりとおっちゃったりするんでしょうけど、とにかく途中参加・離脱は自由です。つうか「禁止することを禁止する」ってな案配で、多くの人がもとよりどこ吹く風だとは思いますが(笑)。しかし職権を濫用しがちな武装公務員が妨害してきたら、ただちに脱法行為をやめろと叱正すべきで、基本的に正々堂々と一喝すればいい。こんなこというからマッチョだっていわれるのか。でも黙って屈服するよりなんぼかマシ。わたしなんかいつも出たり入ったりしてます。
え、デモの許可条件のなかにあるんじゃないかって? ことさらに遅足するな、走るな、ジグるな、広がるな、とかの付帯禁止事項はよく見かけますが、東京都の公安委員会は途中参加・離脱についてまでは書かないと思います(※)。わたし自身のデモ「申請」経験からしても、そんな条件見たことありません(経験があるのは東京都区部と札幌市)。都の公安条例にもそこまで細かいこと書いてないし。
※警察法の規定により、都道府県公安委員会の庶務は都道府県警察官の職掌とされているため、この許可条件なるものは警官が書いているはずです。公安委員会のたてまえは警察を監視する独立機関なんですが、現実はまるで逆。警察がコントロールしています。デモ「申請」と「許可」のカラクリはまさにとんだ茶番。
ちなみに、にぎやかしの宣伝車両つきのフロートが多数出るような「パレード」では、車両規制のため交通課がでばってくることもあるのでしょうけど、デモ規制そのものは基本的に警備公安警察の役回りです。機動隊も大きくは警備警察のなかに位置づけられます。デモ「申請」は公安委員会に出すものですが、経由する窓口は出発地の管轄署警備課ですしね。ただし「荷物押さえという目的」以外の荷台乗車(「目的外乗車」)については道交法規制(第55条)があり、それを合法化するためには同法第56条にのっとるかたちになるので、こちらの荷台乗車「申請」は道交法の規制のもと交通課のナワバリとなります。祭りの山車がわりの軽トラとかサンバのトラックでの荷台乗車はこれでやってます(ただし祭りの場合は道路使用許可を別にとっている)。デモ「申請」と荷台乗車「申請」の管轄については混同しやすいので、サウンドカー帯同でデモりたい場合は留意しておくべきかと思います。
なお、公安条例が制定されていない自治体のもとにあっては、じゃあ無届でできるかというと、現実には道交法のアミをかぶせられるので難しいでしょう。やってできないことはないはずですが、弾圧を覚悟することになります。弾圧回避のためにじゃあなにをどうするのかといえば、やはり交通課に「道路使用許可」をとりにいくことになります。出発地の管轄署に「申請」書を出すと、建前のうえでは署長が決済したかたちで許可証となって戻ってきます。この場合でも、デモ規制で現場に出てくるのは警備課だと思いますが(もしくは警備課・交通課合同)、自治体によっては状況が異なるかもしれません。
いずれにしても、公安条例粉砕! だけではほんとうは足りなくて、道交法の恣意的解釈粉砕! も必要なんです。つうかもう「申請」という形式じたい粉砕! なんだっていちいち「お上」に「許可」されなきゃいけないの。むかつくぜ。
警察、とりわけ警備公安警察は行政活動にとどまらず治安活動・公安活動をしかけてくるため、一見すると状況がややこしくなっているかのように見せかけられますが、ようはデモなんて警察にとっちゃ治安維持(取り締まり)の対象。どんなに媚びたってダメなもんはダメなんだから、潜在的な犯罪者集団扱いであることを開き直りましょう(笑)。だからいちびりだろうがなんだろうが、あえて粉砕! というのです。いや冗談抜きで。
組織するとなると公然活動もそれなりにめんどくせーべ、という話でした。
※書いてるうちに反芻してたくさん足しちった(笑)
デモ→色校正でうちあわせ→野暮用→西友で売れ残ったメシをあさる。なんと西友ではガリガリ君が58円。知らなかった。夏本番に向け、西友に向かう夜がふえそうだ。
新宿ど真ん中デモはすごくいいコースでした。忘却に流されそうになる大勢にあらがい、ねばってねばってねばりつづける主催者に敬意を表したいと思います。
先週に続き暑くて暑くて熱中症になるかと思うくらいでしたが、ひさびさに「安保粉砕」のシュプレッヒコールを耳にして背筋がシャンとしました。「沖縄解放」の叫びは……ふだんなんもしてないのでやっぱり躊躇しましたが、今回はときおりそっと声をあわせてみたり。いまだにそれでよかったのかどうか、自分でもよくわかりません。
ケツがあったため解散地点(新宿アルタ前向かい)でお役御免ということですぐに離脱しましたが、流れ解散を名目に滞留したままアピールをつづけるデモ隊、がんばってました。きっとまだまだこれからです。
本当におつかれさまでした! 僕も「沖縄解放」がベストだとは思っていなくて…(ヤマトがそんなこと言えない)、リズムの良いショートコールが他にあればと思っていたのですが、昔は「沖縄連帯!」と言っていたことを教えてもらいました。次からはこれで。
誤植も修正しました。
毎度のことながらデモコースにさえ主催のがんばりがよく表れていると思います。新宿駅東口前の空間をすっかり庭にしてしまうばかりか、デモコース中に旧コマ劇前をほぼ一周して歌舞伎町席巻するとか、自粛慣行がデフォルトだった数年前にくらべたらほんと気張ってる。たとえ官許のデモだとしても。
連帯も内実が問われる難しいことばだなぁと思いますが(おれこんなんばっかだな)、たしかに解放よりは敷居低いかも。しっくりこない、じぶんがヘタレだからいえない、というのも卑怯だよなと思ったりして自縄自縛してます。ともあれ、悩みながらでも進みましょう。おつかれさまでした。
攝津正 15:41 28/10/2011 パーマリンク
noizさんの長文投稿を2つ拝読して幾つかのことを思いました。
1つはnoizさんの記憶力と論理構成力の確かさです。いろいろな出来事や言説はあるけれども、それを記憶(記録)し評価していくのは容易ではない。
2つめは運動はやっぱりたいへんだな、ということです。
私も運動をやめてしまったのですが、お金がまるでないというのが一番大きいのですが、精神的にも肉体的にも力が枯渇したと感じるということもあります。二和向台の外に出て他人と協働することがもう無理というか。他人や社会と関わることはしんどいし、そのために憎まれることも多い。そういった面倒がいやになったのです。
とはいえ、11/5にはbcxxxさんらのデモに顔を出してみようとは思っていますが、でもあくまでも、顔を出すレベルです。
noiz 20:19 28/10/2011 パーマリンク
わたしの記憶力はたぶんあまりあてになりまんよ……自分でいうのもなんですけど。だから単純な事実誤認だとか自分に都合のよい記憶の修正に対する批判・叱正があるといいなと思っています。主観的には自己救済のための記憶改変はしていないつもりなのですが、誤謬がないとはいえませんから。
記録を残そうとするのはわれながら執念深いせいなんでしょうね。とくに失敗したなーというときのほうが自分のなかに沈殿するようです。残念ながら文章にして対象化しようと努力しても、だいたい失敗からくるいやな感じは消えません。それでも他山の石になればいいんですけどね。
他人や社会とのかかわりが面倒だというのは分かる気がします。簡単に合意形成などといってくれるなというようなしんどさがあるので。
高橋良平 21:42 28/10/2011 パーマリンク
いやーこれまた懐かしい話ですね!!って回顧的ですいません。
それで僕も人身御供的に現場責任者やらされて車の助手席でY氏の隣に座ってました。たしかあれはピチカートファイブの小西氏が出演してたときだったと思います。個人的には労働組合のオルグのための工作という下心アリアリだったですけど、まあ左翼的にはそれ位が健全かなと今でも思っています。私の師匠であった自称プロレタリア詩人のA氏の手書きビラが好評でした。ほぼ成果なしだった、わけではないですが、本家のASCに集ってきた若者の数に比べればなきに等しいものでしたね。あ、でも、今から思えばASCあってのフリーター全般労働組合だったのだと思います。この企画をした某出版社のAさんありがとうございました。
しかし本当に嫌だったなぁ(笑)。パクられるのかなとドキドキしながら助手席に乗っていると、ミラーから無茶苦茶盛り上がっている若者の姿が見えて・・・。個人的には、理念とか趣旨とか正直?な部分が多くて、単細胞的な発想なんで反戦ならメット被って現地闘争だろというアナクロ的(この言葉便利!!)闘争形態しかなくて(本気でやるなら今でもこれが一番正しいと思っている。ただしHは本気ならBだろうと言っていた。彼がM大で青の影響からかなと思っていたけど、やっぱりAの影響なのかなと思う)、でも音楽関係者とかが楽しんで運動やってんならそういうのに協力できる部分は協力しようくらいの気持ちだった。蛇足すれば音楽は好きだけど歩きながら踊るのは阿波踊りとかなら分かるけど洋楽は少々無理があるように思えた。自分が不器用なだけだと思うのですが。
高橋良平 21:52 28/10/2011 パーマリンク
ほんで、その前にパクられていて、何か、どういう経緯か忘れたけど、自分的には弾圧されるとか、警察にやられるというのは悔しくてむかつくことで左翼の面子に関わることなので許せなくて、「気合が足りないからだ」と勝手に総括して、以下のことをした記憶があります。①事前に「弾圧したら徹底的に国賠やるからな」という内容の文書を内容証明書で警視庁と所轄に送った。②事前に弁護団みたいなものを結成したような気がする(←曖昧)。③デモ申請時に①、②のことを告げ、最初に「全部順法闘争(闘争という言葉は使わなかったかもしれないけど、要するに「何人パクられても絶対に引かない。法律を守って絶対に権力には妥協しない。弾圧があったら徹底的に闘うということを宣言していた)でやります。このデモ申の内容も全部記録取ります」と宣言。そしたらのっけから相手が切れててんやわんやに、上司に相談するとか言ってきたので「申請だけさせろ。公安委員会が審査するんだから警察は受理するだけなんだから邪魔するな。余計な仕事するな」と超原則的に対応。しかしお互い顔は知っているので、まぁまぁ、いやいやみたいなことが延々続いて6時間くらい渋谷署で揉めた。そういえば革○さんもちょうどデモ申請に来ていて、警備のおじさんに「あの人たちのほうが簡単に終わるよ」とボヤかれた。ある意味ノンセクトは現場的にはやりにくいのかもしれないと思いました(公安的には良い飯の種ですけどね)。
高橋良平 21:58 28/10/2011 パーマリンク
↑の文章の「ほんで、その前」の前とは前回のサウンドデモのことで自分のことではないです。もし混乱させたらすいません。
あと事前に会議で撮影係を大量に決めて(大量だったかな?)、全部記録しようということにして、あとQCにも応援お願いしたように思う。その節は大変お世話になりました。
それで当日。いやーまるで何もないかのように警備シフトがゆるゆるで、ほんで思いっきり車線とか無視して道路いっぱいに人が広がって、「DJとか楽しいんだろうなー」と思いながら後ろ見ると若者が楽しそうに踊っていて、私はY氏から「MADCOMMUNIST」と規定されていて、マルクス主義者でもあったので、「こんなんで世の中変わるのか?」と懐疑的だったのもあり、非常に、非常に複雑でした。
高橋良平 22:08 28/10/2011 パーマリンク
でもですね、当時から一貫して私がこのサウンドなんとやら(私のこだわりもあり第一回フリーターメーデーではサウンドシステムは後ろに行って貰いました。私はトラメガ担いでシュプレヒコールをあげるスタイルが好きなんです。あれは発声練習としてもなかなか良いですし、今でも好きです。でも心から思わないと叫べないという難点があるのですが)を支持している理由として2つの点があります。①路上における表現活動の自由がこれを機会に広がることは望ましいことであり、それだけでやる価値がある。②このスタイルが一旦であれ盛り上がった背景には、主に音楽関係者が政治的な主張と路上での演奏というスタイルで、普段とは違った演奏と盛り上がりを経験したことが大きいのではないかと思った。具体的には、路上でのストリートライブのような緊張感があったのではないかと思う。その緊張感は観客との緊張感だったのだと思う。観客をのせることが出来るかどうかは演奏者にとってはとても重要なことであるはずで、ハコモノや野外フェスとは違う緊張感が存在していたと思う。③それは多分偶然の産物で、本当のところあんまし反戦とかとは関係ないような気がするけど、別にそれは良いことだと思う。④お祭りのようなものだったし、人身御供のようなことは辛かったけど、ああいう形で渋谷を1周したのはなかなか楽しい経験だったと思う。なんかのパレードみたいに思う(ディズニーの終りころのパレードに近いんじゃないのかな?もしかしてイラク反戦のか??)。⑤④に関しては松田政男なら「反革命だ」と言いそうだし、言って欲しいと思うけど、多分今はそんな時代ではもうない。
以上です。
さようなら!!
高橋良平 22:17 28/10/2011 パーマリンク
ごめん最後に一言。Y氏は自分は「偉い」と思った。なぜなら彼はボランタリー精神が私よりも格段にあったからだ。私はアナが嫌悪する意味でのボル的な要素が過分ブンブンにあった(F労結成のための人狩り。ウヒョヒョ!KJさんごめん!M君ごめん!Iさんごめん!)のだが、彼はもっとシチュオニストがどうたらこうたらとかアナール学派が云々とか言って絶賛してた気がする。そういえば俺が現場責任者やらされたのも彼からの指名だったのかな?それで彼の方向性は私はボルだったので「ナンセンス!」となるのだが、彼は彼なのでそれで良いのかなと思った。そして彼とはアナール学派のごとく、一事を万事にすることをするし、それはある意味で確信犯でして、そのような左からの歴史修正主義を行う(それは新左翼であれ現代思想であれ同じかもしれないし、そういう発想の転換もまた必要なのかもしれないとも思う。網野善彦とか。)のも常套でしょう。でも、それも良いと思う。Y氏に関しては、ある意味身体張ってるし、一番ビビッと(vivit?)に反応していた。
少なくとも左翼的にはY氏は擁護しても良いと思う。市民社会的にはもちろんNGですが。
願わくばY氏が第二の松田政男にならんことを切に願う。
長文失礼しました。
noiz 22:34 28/10/2011 パーマリンク
そうそう弾圧のあとはあとで警察牽制するのに大変だったような。事前に警視庁に対して弁護士帯同で抗議したりとかやってたでしょう。ASCのときは申請にからんでなかったから詳細は忘れちゃったけど。
でもきみらにF労(準)的野望があって動いてたとは知りませんでした。てっきり知り合い芋づる式の合流かと思ってたけどフラク的にやってたのね……(苦笑)。こっちはとにかく「警察さんありがとう」じゃない反戦デモができればいいと思ってたのでイスト的野望で他人をオルグしようとは考えてなかったよ。そのころのスタンスとしては容共派(つまりアナキスト・コミュニズム)ですけど、党派性の違いはここらへんにあるんでしょうね。でもやっぱり「人狩り」前衛意識は受け入れられないぞ!
それから「左翼としてどうか」という観点はあまり関心ないんですが、「労」の視点からすればわたしはYのことは批判するしかないです。問題起こした零細店主として意固地になって労働基準法なんか関係ないって態度だったあたりはとうてい認められない。そんなの適法かどうか以前の問題で、あんな逆ギレしてたら労働運動だとか階級問題がなんだとかっていう資格ないと思いますね。このあたりのF労(準)の暗黒面はちゃんと総括しないとダメなんじゃないの。
高橋良平 00:10 29/10/2011 パーマリンク
暗黒でもなんでもないでしょ。スガ氏は拘ってたけどね。でもそれはY氏が嫌いだからじゃないの?それとも気合入れ?意味不明でしたよ。Y氏に対してはダメなものはダメで、まあ嫌々取ったけど。あと、Y氏は最初から路線的に異なっていた。でもY氏も共に労働相談とかしたんだよ。Y氏は途中から呼ばなくなったなぁ。なんでだろう。来なくなったのかな?まあスタ派の私とA氏の2人ですからねぇ。。
冗談はともかくY氏は途中からはF労とは関係ないので暗黒面でもなんでもないですよ。準備会結成時のメンバーであるというのが正確だと思います。私は準備会結成から組合結成までです。あとは知りません(笑)。NOIZ
さんには申し訳ないですけど、まあ例のごとくボロボロになってしまった感じですかね。でも大変だったんですよ!!本当に大変だったんです。あの苦労は半端じゃない。組織化するなんてもう本当にコリゴリですね。あー思い出しただけで苦痛です。悪夢です。新興宗教の方が簡単にオルグ出来ますよ。ま、その後有能な方々が引き継がれたようで組合的にはめでたしめでたしで良いのではないでしょうか?
オルグはね。左翼の運命(さだめ)です。特にボル派はね。オルグするのは礼儀だと思っていました。自分の主張が正しいと信じるならばオルグし合うのが正しいと。それは常時選挙しているようなものだと思っておりました。日々是オルグ。オルグと大衆運動は両立するものであると考えていました。全く失敗しましたが。あと、私的には集団主義的オルグは拒否してました(少なくとも組合とかでは。大学では多少してましたが・・・)。A氏もそのようなことは出来ない(協調性の問題など含めて)人だったので、組合のためのオルグは個人的にビラまきをする程度のもので、ただでビラ撒きも悪いし、知り合いだし、だったら協力して名前売ってビラもたくさん撒こうかなと思ったんです。良いんです。労働組合は大衆団体だからオルグしまくり当たり前です。大学の新入生歓迎のように考えていたのが間違い位のものです。ま、適当だったということに尽きるのかもしれないですけどね。
そういえばDOPのとき作ったビラ格好良かったなー。誰か持ってませんか??
攝津正 16:41 29/10/2011 パーマリンク
高橋さんって初期F労で一緒だった高橋さん? お久しぶりです。こっちはF労脱退してもう5年以上じゃないかなあ。カネ尽きて活動できなくなってしまった。
運動なり活動を持続するのってたいへんですよね。それができているnoizさんとかは偉いなあと思う。
政治なり社会運動やるのって情動というかパッションが必要だと思うけれども、それがないというか、枯渇している感じです。
高橋良平 17:24 29/10/2011 パーマリンク
摂津さんどうも。初期F労で一緒だったということですが、じつは私あんまり面識ないのです。多分ほとんど被っていないと思います。私の記憶違いでしたらすいませんが。運動や活動はやりたい、やらなければならないなど、行う理由は人それぞれでしょうから、あとは経済的な側面ですとか時間とかの都合でしょう。たしかにパッションが一番大切なのでしょうが。でも、それも人それぞれでしょうから、敢えて他人に言うことでもないような気がします。これも人それぞれでしょうが。ま、あんまり考えすぎないのが一番かなと思います。情勢は深刻ではないと思いますから。ではお体ご自愛ください。失礼しました。
攝津正 08:41 30/10/2011 パーマリンク
いや別にそちらが覚えていないとしてもいいですけれどもね。
話は変わるがTwitterで権田原米三さんが、転向問題は食い扶持問題が大きい、と書いていた。
私もそう思うのだけれど、どうかな?
こないだ会ったとき、塩見さんが、協同組合運動で食える運動をしながら~みたいなことを言ってたんだけど、協同組合(労働者協同組合)立ち上げるのってそんなに容易じゃないっていうのがNAMが頓挫した大きな原因じゃね?と思ってるんですが。
つまり世間的には地域通貨Qプロジェクトの紛争がNAMの解散原因だと思われており、その見方は一面正しいのだけれども、もう一つ、NAMでも余り表沙汰にならなかったこととして、「株式会社形態の生産協同組合」を謳った批評空間社の、社長の内藤裕治さんの癌による逝去による解散、という不幸なアクシデントがあったと思う。
あれがあって、NAMから企業創出というのが事実上、なくなってしまった。あの失敗体験は大きかった、と思っています。
まあNAMのことはどうでもいいんだけれども、生産協同組合、労働者協同組合って困難じゃねーの?と。QTさんやkickさんはそれに取り組んでいたけれども。
北条うらら 23:38 24/11/2011 パーマリンク
高橋さん、ネット上にあなたの不誠実な姿勢(の一部)を自ら晒してもらい助かります。
時には合意形成を破り、引っかき回し、そして仲間達に不信感を持たれれば、自らの選択でとはいえ
場を離れることになるのは必然だろうと思います。
また、使用者と一緒になって団交の当該が何回も吐くまで吊るし上げたり、団交の担当者にも関わらず
バックレたりした行動は重大な背信行為であるので、きちんと総括しなさい。
それと、あなたが語る組織化の「苦労」などDV男が語る「愛情」レベルのまやかし。
北条うらら 00:17 25/11/2011 パーマリンク
noizさん
あなたが「労」の視点から矢部史郎を批判していることは初めて知りました。むしろ、労働運動や階級問題について語らせる場を提供する立場にいたと認識していましたので、理解に苦しんでいます。
問題は和解で一端完結しても、問題が起こったこと自体が無くなるわけではありません。問題は、日々の運動や言論活動とつながっています。矢部の場合は整理解雇4要件とか関係なく「必要があれば解雇する」と発言し、その言論の中で自らの問題行為を肯定しています。そういう主張を持つ人間を不問、場合によっては容認する形で講師によんだフリーター全般労働組合には大きな疑問と不信を感じています。
また、矢部が「問題を起こしたことを反省してない」と平気で言えるような状況をつくってしまいましたし、そういう発言を問題化することなく、講師によぶことは当該に対する反労組的なセカンドレイプです。そのような労組を当該が嫌になって辞めるのは当然のことでしょう。
noiz 01:35 25/11/2011 パーマリンク
北条さん。あのときあなたから話をきいて、たしかにそれはおかしいと思ってわたしは矢部に発言撤回を求めました。ふだんの主張からしてそれじゃ矛盾してるじゃないかと批判したんです。でも結局、矢部の開き直りを修正させることもできず、あなたには力になれず申しわけないと電話しましたよね。「問題化」を具体化するならできる協力はするとしたものの、情けないけどいまのぼくではやりきれないと話をしたのを覚えていますか? たしかあなたは公開討論を望んでいたと記憶していますが。