かりにこの記事のとおりの発言をしたのだとすれば、チャスン僧侶は日本の禅が中国伝来のものであることを理解していないように思われる(大日房能忍のように無師独悟した僧もいるが、能忍はのちに宋の育王山から印加証を得ている)。チャスン僧侶の主張の摩訶不思議なところは、「日本用語の『禅』は偽物、私たちの用語『参禅』を世界に知らせる」との矛先を、なぜか禅の発祥である中国禅には遡及させずに泰然としている点にある。また参禅を「私たちの固有の言葉」としているようではあるが、参禅とは禅の道に入ること、あるいは修行の行為そのものを表す言葉であり、もともとはやはり中国禅のなかで使われたもの。同僧がそのことを理解しているのかどうか、これだけの記事ではよく分からない。さらに、「これらの広報活動の結果、外国人が韓国仏教文化を体験するために韓国へ来れば、観光収入も増加し、精進料理とともに、韓国料理も世界化される」とあるが、これは本当に僧侶の発言なのだろうか。まるで観光政策を立案する官僚の作文を棒読みする主務大臣のようだ。とはいえ、日本にも大悟などとはほど遠いクソ坊主・欲ぼけ寺はごまんと存在しているので、同じ穴のムジナといったところか。
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noiz
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noiz
他力にすがる気力もない。念仏の無駄。
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noiz
しかしほとんどの世界宗教が性差別を内包するのはどういうことなのか(例外はバハーイーくらいか)。日本ではなじみの深い仏教にしても非常に性差別的で、浄土教(念仏諸宗)さえ「男にならなければ往生できない」などとほざいてる。そう、女人往生を擁護しながらも、その方法論においては女性は女性のままでは往生できないなどとしている。ふざけんなよ。この点ではエリートのための仏教をのりこえ、もっとも大衆的運動を展開した念仏諸宗もやはり信頼するに値しない。変態的な方法論による女性の救済を説いてたいた点では日蓮およびその宗派も同様である。日本仏教において性差別を激しく攻撃したのは道元くらいのものだろうか。しかしそれも一時期のことで、道元は在家信仰への寛容な態度を示した時期にしかそうした反差別思想を維持できていない。晩年に近づくにつれ強まっていった出家主義時代には、やはり「男の出家」を基盤とする「山ごもり」にかえっていってしまったのだ。がっかり。
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noiz
政治権力との離合集散をくりかえす顕密体制とは距離をおき、「只管打坐」の怪気炎をはきつづけた道元をつかまえてなんだおまえは、とお怒りになる向きもあるかと思う。
しかしわたしは死期に際して残した道元の詩に意外な感を受ける。道元禅師の遺偈
五十四年
照第一天
打箇●跳
触破大千
咦
渾身無覓
活陥黄泉●足偏に旁
前半と後半で雰囲気ががらっと変わっているように思うのは気のせいか。
咦(口偏に夷)の字には「ああ」との嘆息のほかに、ふふんと鼻で笑うという意味もある。いずれにしても承前のことばとしては前後を転回させる役割をはたすだろう。道元の遺偈の場合、54年生きた自分はこの世界を照らしてきたものだが…と前半で誇示した自己の姿をふっと笑うようなしぐさに見えて仕方がないのである。
もしそうなら、「活きながらに黄泉に陥つ」とはじつは絶望のことばではないのか……と思いきや、この遺偈は道元が中国で師事した如浄のものをふまえた内容であり、活陥黄泉のいいまわしも如浄が使っている。(この場合の黄泉とは日本神話でいうところの「よみ」ではなく中国民衆思想のうちに見られる「こうせん」──死者の地下世界のことである)
ただし如浄の場合は、活陥黄泉といったあとに咦とわらって従来生死不相干とつづけており、いかにも恬淡としている。生きながらにして黄泉に身を落としていようとも、従来いわれてきた生死などにはかかわりがないと反転しているからだ。つまり落ちていようがいまいがどちらでも同じだ(関係ない)という境地である。如浄禅師の遺偈
六十六年
罪犯彌天
打箇●跳
活陷黄泉
咦
従来生死不相干●足偏に旁
ではなぜ道元の活陥黄泉にあえて絶望をよみとろうとするのか。それはかれが鎌倉に下向して在家(宝地合戦で政敵を血煙のなかにうちたおした北条時頼)の教化に失敗して永平寺にふたたび戻ってから、さらに出家主義を強めていた経緯による。大陸の留学で鍛えられ意気軒昂だった時期、道元は在家にも気を配っていたはずであった。しかし晩年にむかって収斂していく道元の歩みもまた平坦ではない。おそらく自分のなきあとの教団の強化をも企図したのであろう鎌倉への下向に失敗し、また教団が磐石になってゆく状況を生きて見ることがなかった道元にわたしは孤独な姿を見る。政治的な後ろ盾も独自の武力ももたないおのが教団の行末に不安を持ちつつ、師が世俗の権力に一切近づくな、山にこもれと教えていたことの意味を今さらのように反芻しながら、師とはあえて違えて活陥黄泉と絶句したのであれば──。
禅宗きっての思想家として激しく先行者や他宗を批判し、サンガ(僧団)の維持のために数々の組織論をきたえることできわだっていた道元の人間らしさがかいま見えるようで、わたしはこの人の末期がなぜか気になる。※見当違いだとの叱正歓迎 笑