警察だって合法化された暴力装置だ。条件により武装した力を行使できるし、私人逮捕以外のすべての逮捕を執行できる。検断の成立は政治権力とその法によって保証された暴力が背景にあるからこそのもので、たとえば中世における権門(権力をもつ勢力)が朝廷、幕府、寺社勢力に分裂していた時代は警察権・裁判権含め相互に干渉できず、これをおかそうとすれば戦争になった(「実力」の側面では朝廷がもっとも劣位におかれたが)。さらに在地の実力者も私法をもち、また惣村の(自治の形質としての)一揆も村法をもって対抗した。こうした「下からの秩序」を保証したのもまた「実力」─暴力だ。戦国時代はこの力の均衡が流動した帰結だった。いまは代議制民主主義こそが国家と法という最大暴力の保証者となっている。つまり暴力の正当化・合法化と収斂は、権力史として見ることができる。
法治体制下にあって留保ぬきに暴力を非難できる者はいない。これができるのは埒外にある者たちのみ。体制の暴力の庇護下にあって私人の暴力にかぎってとがめる者は、卑劣にも自己客体化を絶対にしないと駄々こね宣言しているようなものだ。イデオロギー関係ないんだよね。